山形

東北各県へのアクセスの方法は、東北自動車道と東北新幹線の利用がメイン。
山形県は、そのいずれの方法からもはずれていたために多少不便な印象があった。
しかし、車を利用するならば、東北自動車道福島インターから山形自動車道を利用すれば
何のストレスもなく山形県内にアクセスできるし、山形新幹線の開通も、山形をより身近にしてくれた。
山形は、意外に近いのである。
山形といえば、花笠まつりが有名だが、
将棋の駒の生産で名をはせる天童や日本三大牛の産地の米沢、
松尾芭蕉の俳句で知られた山形、
さらには、スキーのメッカ蔵王、出羽三山などみどころが多い。
あなたもぜひ一度山形を訪れてみよう。

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米沢牛

山形には、そのおいしさで全国に誇れるものがある。
米沢牛だ。
日本三大牛とは、松阪牛・神戸牛そして米沢牛だが、米沢牛の味はまさに天下一品だ。
地元で食べる牛肉を使った料理は、本当にほっぺたが落ちるくらい「うまい」のだ。
米沢市内のレストランで食べたサーロインステーキのあのうまさは忘れられない。
脂ののりぐあいといい、肉の柔らかさといい、肉の持つうまみといい最高だ。
フォークに刺さった肉片が口の中に運ばれ、ひとかみしたとたん米沢牛のうまみが口の中一杯に広がる。
「こんなうまいものが食えるなんて生きててヨカッター」心底そう思える。
また、料金も良心的だ。
生きる希望を失ったひとは、是非一度召し上がっていただきたい。
そして、そのうまみたっぷりの牛肉を使っているせいか、山形市内のレストランの肉料理もなかなかおいしい。

米どころ

お米といったら、やはり新潟の魚沼産「コシヒカリ」が最高だ。
続いて、宮城の「ささにしき」。
最近は秋田も「秋田こまち」で健闘している。
東北・北陸はその土壌と水質、気候の良さから日本の米どころとして知られている。
ここに山形のブランドがない。
山形も庄内地方という日本有数の米どころをかかえているが、「庄内米」という名でしか聞いたことがない。
何かいいネーミングをすれば、きっともっとその価値が評価されるのではないだろうか。
食べる話ばかりになってしまった。
話変わって、もしあなたが車で山形を訪れたならば、
少し足をのばして庄内地方までドライブしてみてはいかがだろう。
特に夏の庄内平野はいい。見渡す限りに緑の水田が広がっている。
まだ黄金色に染まる前の丈の低い稲穂が日本海からやってくる風に波立つ。
その景色は、ひといき吸うごとに心の中にまで広がってくるようだ。
自分の気に入った景色が目に入ったら、しばらく車を止めてのんびりしよう。
緑の海をはるか向こうから白い波が渡ってくる。
ここは風が見える場所なのだ。
ほんのしばらくでいい。きっとあなたの心の中に焼きつくはずだ。
それから、又車に乗り込んで日本海を見に行こう。
進路を北にとれば、秋田県の象潟だ。
ここは、陸の松島として有名だ。
水田の中にぽっかりと浮いた「しま」はかつては本当に海に浮かぶ島だったのである。
この景色は、不思議な感じがする。
そして、この象潟には、最近展望風呂にも入れる「道の駅」がオープンしたそうである。
ドライブで疲れたらこの「道の駅」で湯につかって疲れをとろう。
4階にある展望風呂は、日本海を見渡しながら入れるそうだ。なんか行ってみたいところだ。

山寺のセミ論争

「閑さや岩にしみ入る蝉の声」この有名な句は、
芭蕉が奥の細道の旅の途中「山寺」を訪れたときに詠んだ句である。
この山寺は山形市と仙台市を結ぶJR仙山線の途中にある。
山形市から15分ほどの山寺駅を降りると
山寺−正式名称宝珠山(ほうじゅさん)立石寺(りっしゃくじ・りゅうしゃくじ)がある。
仙山線と平行して流れる川を渡るとそこはもう「山寺」だ。
山寺の境内に足を踏み入れると「ああ、およそ300年前に芭蕉もこの地を踏みしめたのか。」
と感慨深いものがこみ上げてくる。
さて、これから1015段あるという階段を登って如法堂(奥の院)に向かう。
手には、境内内にあった貸し出しようの杖を持っている。
階段は岩肌を巡るように続いている。
夏は、少し登るともう汗だくだくだ。途中、崖から突き出すように作られた「胎内堂」がある。
ここの眺めは、素晴らしい。ただ、そこにたどり着くには、細い崖っぷちを通らなければならない。
高所恐怖症のわたしは、おしっこをちびりそうになりながら、渡った。
手すりのようなものが何もないのだ。
今までに何人かはここから落ちて命を落としたのでは無かろうか。そんなところだ。
さらに、階段を昇り続けるとほのかに線香の香りが漂ってくる。
すると、そこはもう奥の院だ。やっと着いた。
ほっとして、日陰に腰を下ろすと、汗でぐしょぐしょに濡れた肌着があっという間に冷えて
ぴったりと肌に張り付いて気持ち悪い。
しかし、旅の記憶は様々な感情が入り乱れていた方がいい。
時間が経てばすべていい想い出に変わる。
さて、芭蕉の句の「蝉の声」だが、学会ではその蝉が「ミンミン」と鳴くミンミン蝉なのか。
「ジィー」と鳴くあぶら蝉なのか。
山寺を訪れたときは夏の真っ盛りでほとんど騒音と言っていい蝉時雨を覚悟していたが、
予想に反して蝉の声はまばらだった。
1015段の階段を昇りながら、休む度に意識して耳を澄ましてみたが、鳴いていたのはミンミン蝉だった。
もちろん、300年前と現在では蝉の勢力図も異なるだろうし、
俳句の中の蝉の声はその芸術性を高めたり味わいを深めるのはどちらか?という観点で考えるべきだろう。
わたしは、個人的には「ジィー」と鳴くあぶら蝉だと思うが。あなたはどう感じるだろうか。ご意見をお待ちします。

 

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